なんちゃって課長日記

社会的入院中の妹を持つきょうだい爺の生活とその周辺

今年の年賀状を探していたら遺書を発見する

喪中ハガキの準備するため、今年、平成27年の父宛の年賀状を探すして、ありそうな場所には探すがどういうわけだか見つからない。徹底的に父の部屋とリビングを探したところ、普段は小型の家具の後ろに隠れている、目に付きにくい場所に置かれた銀色のおかきの缶の中に『大切なものです』と表書きされたB5版の茶封筒を見つけた。私宛の父の遺書だった。
ノートの切れ端2枚にまず、平成17年夏に書かれたもの。次に平成27年10月9日夜にメモ用紙2枚に乱れた字で書かれたもの。写真が3枚、父と母の旅行中のツーショット、2000年4月4日の日付入りでスーツ姿で並んだ父を含む5人の男性、旅館のロビーに座った父一人だけのポートレイト。
平成17年に書かれたものは、腎臓癌の手術前のもので、病気と手術への不安、そして母と妹のことをよろしく的な内容だった。
平成27年10月9日夜に書かれたものは、もし自殺してしまったら家族葬で済ませて友人や会社関係者には誰にも知らせるなと云うものだった。また、その人達のほとんどは妹が知的障害者である事を知らないのでそれを隠しておいて欲しい、と遠回しに書いてあった。この最後の一言を読んで妹は元より母にもこの遺書を見せないことに決めた。

父を病院に救急車で搬送した後、妹のショートステイの準備で一旦帰宅した際に食卓の上や仏壇周り、そして現場付近を探したのだが見つからなかったので遺書やその類の物はないものだと思っていた。もし今回のように何か別の探し物をしなければこの遺書は見つからないままで、おそらく十数年後に特殊清掃業者によって処分されたことだろう。もし父が自殺する直前にこの遺書を私に読ませようと考えたならば、あんなところに入れたままにはしなかったはずである。きっとそんな余裕もないほどに発作的に首を吊ってしまったのだろう。

話は戻るが、今年の年賀状はまだ見つからない。一昨年以降のものは分かりやすい場所にあったことを考えると、父がどこかに隠してしまったのだろうか。