なんちゃって課長日記

社会的入院中の妹を持つきょうだい爺の生活とその周辺

近鉄八尾駅のタクシー乗り場で

リノアスのニトリから家まで約1キロの距離を重たい電子レンジの重たい段ボール箱を手で持って買えるのは流石にしんどいので、駅前のタクシー乗り場へ行く。クリスマスイブということもあるのかタクシーがあまり来なくて午後4時過ぎなのに何組かのタクシー待ちの行列が出来ていた。タクシーは10分に一台ずつくらいのペースできていて、私の前には30代くらいのママ友二人連れとそのチビっ子達3,4人でタクシーがなかなか来ない事をボヤキながらまっていた。そしてちびっ子の一番年長らしき女の子がKFCのバケツ(クリスマス用パッケージなのか赤ではなく青いバケツだった)を両手に抱えていた。KFCのバケツは私にとって幼少期から50を過ぎた今でも裕福で幸福な家庭の象徴である。今となってはそれが欲しいわけでないが、あれを見るたびに「自分はあのバケツを買えない家で育ち、今はあのバケツを買えてもそれを持って帰る家はない。」そんな事を思い知らされるのである。

そんなバケツを複雑な気持ちで横目でチラチラ見ながら待っていると、
私が先頭から2番目になったところで、荷物をたくさん持って疲れている様子の老父婦が私の後ろの並んだ。列はこんな感じである。

(乗り場)ママ友 ← 私 ← 老夫婦

ママ友の一人が老夫婦に話しかけて順番を譲ってあげようとしていた、老夫婦は最初遠慮していたがママ友の好意を受け入れた。その一方でもう一人のママ友はちびっ子達に順番を譲る事をきちんと説明してようだ。そして列はこうなった。

(乗り場)老夫婦 ← 私 ← ママ友

バケツだ、あのバケツが買える家庭には人としての暖かさや優しさや思いやりが育まれているのだ。口ではタクシーが来ないとボヤいてはいても、走り回るちびっ子達に手を焼いていたりしても、私とは違う選ばれた人達なのだ。

しばらくして新たにカップルが列に加わり、次に列の反対側から駅員に案内されながら白杖をもった視覚障害の女性が、なぜか列の先頭の向こう側に案内され、駅員は立ち去ってしまった。

女性(乗り場)老夫婦 ← 私 ← ママ友 ← カップ

え? 駅員さんなんでそんなところに彼女を置いて行っちゃうんだよ〜。私と同じように感じたのかママ友達もボヤき始めた。でも、今度は私の番である。
私は段ボール箱をその場に置いたままで彼女に声を掛けて、状況を説明し列に並ぶように案内した。私は彼女を自分のいた場所に案内し「2番目ですからね」と告げ、そして段ボール箱を持って今度はママ友達に「私、後ろに並び直しますから」と言って移動した。

(乗り場)老夫婦 ← 女性 ← ママ友 ← カップル ← 私

すぐにママ友の一人が私のところに来て自分たちの前に入るように言ってくれた。バケツだ。バケツの暖かさだ。ありがたい申し出だった。いや、私のような人間を気に掛けてくれたことがなによりも嬉しかった。しかしそれではカップルに申し訳がないし、ちびっ子達もかわいそうなので丁寧に遠慮した。それにタクシー一台の待ち時間分の温度でもバケツが冷めなければ、その温かさはちびっ子達のものになるだろう。
ママ友が戻った後、ちびっ子達が私に走り寄ってきて「ありがとう!」と言ってくれた。私は言った、「メリー・クリスマス!」。