翌々日、手術日、2020.08.27の記録。
- 08:35、担当医から電話。
- 私の入り時刻が14:00に早まる。(手術開始予定時刻の1時間前)
- 時間を逆算して今日の予定をリスケジュールする。
- 翌朝まで付添いを依頼される。
- 急遽、その為の荷造りをする。前回の付き添いの反省から厚手の長袖を入れる。
- COVID-19対策で、家族でも呼ばれた時以外は面会禁止なのだが、術後のせん妄状態を考慮された模様。私も体力的にはキツいが、納得している。
- 私の入り時刻が14:00に早まる。(手術開始予定時刻の1時間前)
- 10:30、妹の入院先病院へ臨時の差し入れに出発。(詳細は別エントリー)
- 12:30、妹の病院から帰宅。
- 計画通り電車+最短ルートの炎天下を歩いて汗だくになったのでシャワーを浴び着替えて、次の出発までクールダウン。
- 母の病院への行き帰りはタク送予定なので、再び汗だくになる心配はない。
- 計画通り電車+最短ルートの炎天下を歩いて汗だくになったのでシャワーを浴び着替えて、次の出発までクールダウン。
- 13:30、タクシーを呼び、母の病院へ移動。
- 到着直前に大粒の雨が降り始める。その後八尾市に大雨洪水警報が出る。
- 出発前に念の為窓を全部閉めてきて正解だった。と思ったが、これを書いている間に2Fの納戸の窓を閉め忘れている事を思い出す。
- 到着直前に大粒の雨が降り始める。その後八尾市に大雨洪水警報が出る。
- 13:50、病院到着、病室で手術開始まで待機。
- 母の表情は虚で目を開いたり閉じたり、昨日より受け応えが良くない。
- 両手の抑制もミトンだけになっていて、昨日までの、隙あらば脱走しようとしていた気力はどこにもなかった。
- そんな母の様子を見て、今回初めて母を失う事の怖さを感じた。
- 15:15、ストレッチャーに乗せ換えて手術前室に移動。
- 麻酔医からの説明を受け麻酔関連の同意書にサインする。
- 母を手術室の並ぶドアの前で見送って、私は病棟のデイルームで待機。
- 16:35、手術が終了し、母がベッドに乗せられて病室に戻って来る。
- 母は酸素マスクをして苦しそうな表情だった。
- 口腔外科の担当医から手術が予定通り終わった事を説明される。
- 一昨日縫合した顎の裂傷をもう一度開き、そこから左右に割れた下顎骨をプレートで繋いで固定。このプレートは1〜1.5年後に取り除く。
- 抜糸するまで顎の傷口からの出血が滴り続けるのでガーゼを当て続ける必要あり。(1週間後に抜糸予定)
- 歯周病が原因でダメになっていた上右前歯2本を抜歯。
- 今思えば、無理矢理にでも4本しか残っていなかった上の歯もキチンと歯磨きさせておくべきだった。(反省ポイント)
- 顔の腫れは3日後がピークになる。
- 一昨日縫合した顎の裂傷をもう一度開き、そこから左右に割れた下顎骨をプレートで繋いで固定。このプレートは1〜1.5年後に取り除く。
- 説明を聞きながら母を撮影していると、担当医より個室を含めて病院内での撮影は止めるように求められる。
- 無許可であまりにも無遠慮だったので、他のスタッフの方からもプライバシー面で苦情が上がっていたようである。(反省ポイント、私には不要でも他者のプライバシーは厳守)
- 17:50、内科の担当医から詰所で電子カルテを見ながら説明を受ける。
- 脱水については検査の数値的に心配な面もあるが、回復しているとの事。
- ところが画像で首の骨に異常が見つかり、これを翌朝に整形外科で診察してもらう事になる。
- 明日の午前中に退院予定だと思っていたが、それは口腔外科だけの話だった。
- その内科医とは事件当日にERで数分話しただけで、以後、医師とは今回手術をして頂いた口腔外科医とだけしか話していなかった事もあり、退院のGOサインはその口腔外科医が下されるものだと私が早合点していた。(反省ポイント)
- 18:17、デイルームでケアマネ氏に電話。
- 明朝退院する事を前提として明日から来ていただく方向で手配して頂いていた訪問看護師さんを一旦キャンセルしてもらう。
- 他にも今後の取り入れるべき介護サービスについて色々と提案を頂く。
- 18:28、病室に戻ると母が脱走しようとしていた。
- ケアマネ氏との電話が長くなって来たのでデイルームから病室に戻ると、母が酸素マスクを付けたまま、左手から伸びる点滴のチューブに引っ張られるかたちでかろうじてベッドに腰掛け、手術着もはだけて半裸の状態だった。
- 印象的だったのは、私がドアを開けた瞬間、母の表情はしっかりしていて、両目は私を見据えていた。
- 慌てて電話を切り、母を寝かせてナースコール。点滴は逆血してした。
- 看護師に点滴の対応と両手の抑制をしてもらう。
- 私が病室を出た40分ほど前、まだ手術後2時間足らずで言葉を交わせても起き上がれるような気配は皆無だった。
- ベッドから起き上がっている母を見た時は、『そんなことはありえない』と心の中で叫んだ。しかし、それは現実に起きて、そもそも今回の発端となる通所デイサービスからの脱走事件にしても誰もが『そんなことはありえない』だったのに、現実に起こったのだ。(反省ポイント、一昨日の脱走事件から私は何も学んでいなかった。)
- ケアマネ氏との電話が長くなって来たのでデイルームから病室に戻ると、母が酸素マスクを付けたまま、左手から伸びる点滴のチューブに引っ張られるかたちでかろうじてベッドに腰掛け、手術着もはだけて半裸の状態だった。
- 19:35、術後3時間、立ち歩き許可
- 抑制を解いて、看護師に手伝ってもらいながらトイレで排尿、おむつ交換、手術着から病衣に着替え。
- 21:35、術後5時間、プリンを食べさせると云う指示
- 私が介助して喰べさせるがほんの少ししか喰べなかった。
- 楽飲みで緑茶を飲ませる。30cc。
- 22:00、消灯、就寝
- トイレに座るが今回は排尿なし。おむつも汚れていない。
- 両手を抑制してもらい、就寝。
- 時々寝息が聞こえるが、あまり眠れてはいない様子。
- 03:45、このエントリーを書き終わる
- 事件当日の記録をまだ書けていないのが心残りだが、眠いのでもう寝ます。