なんちゃって課長日記

社会的入院中の妹を持つきょうだい爺の生活とその周辺

母.認知症.介護.気持ち.現在の私と母の関係性、自宅介護を続けられる理由

水曜10時の訪問看護師と話している中で「羽瑠子さんが優しいお母さんだったから、茂さんが今こうしてお世話してるんですよね?(大意)」と問われる。その問いの答えを探しながら、私が母に対してどのような気持ちで接しているのかを話す。興味深いのでその答えや、その場では答えられなかったが考えた事を改めてここに記す。

  • 現在の私と母の関係
    • 私が母の介護をしているのは理由は『行き掛かり上』である。
      • 母が優しい人間だったから、母への深い愛情や感謝の気持ちが介護する原動力ではない。
    • 肉親だから介護をしていると云う意識は薄い。
      • 母が私に対して『息子』と云う認識がなくなったのと同時に、私も母に対しては『母親感』がなくなった。
      • 私にとって『役割としての母親』は既に不要であるし、母にとっても『役割としての息子や家族』は不要で、必要なのは『介護者』である。
    • 私は母を認知症以前の母と同一人物としては観ておらず、現在は『母だった人』と云う意識が強い。
      • 顔つきや所作、言動、性格が変わってしまった事が理由だと思う。
      • しかし『母だった人』が目の前にいるので母が死んだとまでは思えない。
  • 傍目から見れば大変そうな自宅介護を私が淡々とこなしていける理由
    • 私の介護観としては、(『死ぬ気でやる』と云う言葉を拝借した→)『もう死んでいる気でやる』と云う言葉がしっくりくる。
      • 私自身の残された余生を考えれば、今後他者に大きな影響を与えたり、仕事や趣味で何かを成し得ることは期待出来ない。
      • 他にも生きている理由となる『希望』はなく、そう云う意味では『私はもう死んでいる』と言えることから、『もう死んでいる気でやる』と云う言葉にしてみた。

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#もう死んでいる気でやる