なんちゃって課長日記

自殺した父、認知症の母、社会的入院中の妹を持つ介護離職者の生活とその周辺

手術の後先

父は家族、妹、弟だけに知らせて手術するつもりだったのだが、手術前に集まった親族は全部で10人以上いた。いくら個室でもそんなに見舞客は入れないわけで、病棟の廊下に溢れ出して他の患者さんやスタッフの通行を妨害している。 そして、もうすっかり死ぬ気満々の父は涙ながらに親族を前に手術前に感謝の言葉を残して、9時前に2Fの手術室に徒歩で入った。

『じゃあ、2時に再度集合でお願いします』ということで一旦解散。病室に家族だけで残る。長い時間が流れた。

2時過ぎから徐々に親戚たちが4Fの病室に戻ってくる。 みんな待ちきれないのと病室には入りきれないのとで、手術室のある2Fに誰彼となく移動。この病院はTVドラマでよくあるような手術室のドアの前にベンチがあるような間取りではなく、見舞い客は手術室のドアが直接は見えない。しかも手術室へと続く廊下はICUにもつながっており、かなり手前からオフリミットになっている。3時頃に私が2Fに行くと親戚たちはICU面会者室でタムロしていた。そこへICUの看護師がやって来て「ICUの患者さんの関係者ですか? あ、そうなんですか、すみませんがここはICUの患者さんようなので、病室でお待ちください。」と怒られて、親戚たちを4Fに誘導。

『お父さん早く帰って来てよ、このタチの悪い暴力的な集団、俺は大の苦手なんだよ〜』

父が戻って来る前に担当医&執刀医のK医師が切除した部位を持って病室に登場。 家族を押しのけて切除した部分を見ようとする親戚たち。それは大きな梅干しくらいの大きさでベージュと茶色の物体だった。想像していたよりもそれは大きかったが、K医師によるとそれは部分切除可能な最大のサイズってことで腎臓は2つとも残す事が出来たそうだ。予定していた時間よりも押した理由は腎盂が裂けそうだったのでそれを修復するためだったとか。

父がベッドに寝かされて病室に戻って来たのは4時頃。父は麻酔が解けて意識が戻っていたようだが、まだ話す事はできない状態だった。さらに看護師さん二人掛かりで術後処置の間は外で待つ事になり、それが終わったのは5時前くらいか。親戚たちもさすがにまちくたびれたのか、『じゃあ一声掛けてから帰りますわ〜』ということになり、親戚たちが一人ずつ病室に入ってもらい、挨拶をして順次親戚たちを見送る。 ようやく俺たち家族が父のそばにたどり着けたのはそれからだった。 ベッドに寝かされて、何本ものチューブに繋がれた父の姿はすっかり弱っていて、俺はこの時初めて父ががん患者なんだと云う事を認識した。 それまでは自覚症状がなくて、数日前まではテニスコートを駆けて、8時間前は軽い足取りでスタスタ手術室まで歩いていた父がこんなになってしまうなんて。。。