なんちゃって課長日記

社会的入院中の妹を持つきょうだい爺の生活とその周辺

介護回顧録.母.認知症.介護.気持ち.『母と認知症と私』

1週間ほど前に、介護コミュニティサイト『安心介護』で、ある人の相談に乗っている流れで、私の母に対する介護についてコメントを求められたので、徒然なるままに書く。話が複雑になるので妹の事は伏せたが、他人に諸々説明するには十分だった。
そして1週間寝かせてそれに加筆修正したものが以下で、タイトルも『母と認知症と私』*1と付けて、エッセイにしてみました。


母と認知症と私

それでは、少しだけ私の母と認知症についてお話しさせてください。

実は母が認知症と診断される1年ほど前に、父が老年性うつ病で自ら命を絶ちました。父が「死にたい」と口にするようになり、私が付き添って心療内科で治療を続けていました。
しかし、そんなある日、買い物から帰ってきた母が自宅で首を吊って死んでいる父の姿を目の当たりしてしまいました。
それ以来母は、「私があの時出掛けたから父を死なせてしまった」と自分を責め続けました。そのショックやストレスが後に母が認知症に陥った原因になったのかも知れません。

母に認知症の初期症状が現れたとき、掛かり付け医の助けを借りて認知症専門医に診察、検査してもらい軽度認知症の診断されました。二人の医師の間で交わされた書類には、認知症の症状を抑えるための薬物治療について記されていたようですが、掛かり付け医はその効果の期待に対して副反応のリスクが大きい事から薬物治療には消極的でした。私はその言葉を聞いて、母の辛い記憶が認知症によって消え去り、もう父のことで苦しむことはなくなるのではないかと考え、薬物治療は選択しない事に決めました。

その後数年で母の記憶から父の存在と悲しい思い出は次第に消えて行き、母はその苦しみから解放され、私は母の認知症に感謝しました。しかし、それは同時に目の前にいる私が息子である事も忘れさせてしまいました。
そこから母が亡くなるまでの次の数年間、私は母が混乱しないように親子でいる事を辞め、仲の良い親友のように接して見守り続けました。

母が安心して楽しい記憶だけに包まれて最期を迎えられる事だけが私の願いでした。
そして、ありがとう、認知症
本当の意味で母を苦しみから救ったのは誰でもない、あなたでした。
誰もがあなたを忌み嫌うけれど、私はあなたが好き。
あなたが私のそばに来てくれるまで、私はあなたを忘れない

*1:元ネタは『部屋とワイシャツと私』である