なんちゃって課長日記

社会的入院中の妹を持つきょうだい爺の生活とその周辺

気持ち.一期一会.電車で席を譲られる.受助力と老害について

京都への移動中にJRの新快速に乗る。3連休初日と云うこともあり、空席はなくドア付近も混雑していたので車両中央の通路にバッグを下ろして立つと、すぐそばの席の20代女性が立ち上がって席を譲ってくれた。午前中でまだ疲れは無かったのだが今回は素直にお礼を伝えて座らせてもらう。
そして電車で席を譲ってもらうのはこれで人生四度目である。

これまでの過去3回は、「おいおい〜、私はまだそんな歳じゃないよ〜」と多少キレ気味に一旦は辞退してから、仕方無くと云う形でありがたく座らせてもらっていた。

しかし、相手の立場になると一旦立ち上がってしまってはもう一度座ると云う訳にもいかないし、私がキレたような事を言って恥をかかせては、その人だけではなくそれを見ていた人達も本当に必要な誰かに席を譲るべき時に躊躇してしまうだろう。
それを考えると、私にとって不本意であることを相手にぶつける事が決してその場限りのことだけではなく、少なからず人々の善意をスポイルさせることに繋がる事に気付いてしまった。

日頃、他者には『受助力』の必要性を説いているのに対し、私自身がそれを理解、実践できず、最早自分の老いを認めようとしない『老害』と云う存在であった事に気付く。

『優しさや善意が暖かく受け入れられ、そしてそれが広がる世界でありますように』と願っているのに、結局はただのつまらない思い上がりでしかなかったのだろうか。

ちょっと凹んでます。