なんちゃって課長日記

社会的入院中の妹を持つきょうだい爺の生活とその周辺

東日本大震災. 10周年

あの時、私は大阪市内にあるビルの5階の窓際の席で働いていました。
先ず、その窓に吊り下げられたタチカワブラインドがカサカサカサカサと小刻みに擦れ合う微かな音に気が付きました。その音が地震の揺れによるものだとすぐには判らないほど、それは今までに私が経験したことのないゆっくりと長い揺れでした。それまでそれぞれの仕事をしていた周囲の者同士で顔を見合わせました、『揺れてる?』『長いよね?』 。
二つ隣の席の人が(多分)Yahoo!地震情報のページを開いて、一言呟いた。『これ、笑い事じゃないです。』
その画面を覗き込むと地図の東北地方の東側に震度を表す『7』の文字があった。
程なくして本社(東京)と連絡が付いたらしく、停電の可能性があるので数時間後にサーバーをシャットダウンする。外注である私達にも全社でメールが使えなくなると通知される。
しかし、その後は通常通りの作業に戻り定時で帰宅する。電車の遅延もなくいつも通り帰宅する。
自宅のテレビで地震津波の映像、特に水没した夜の気仙沼市、大小いくつもの火がついた物が流れていくのを見て言葉を失う。
その夜は結局朝までテレビを見ていた。
翌朝、出社すると誰もが重苦しい空気に包まれていた。
つづく、